JA掛川市

生産品の歴史

掛川のお茶の歴史はさかのぼること江戸時代、
山内一豊が小夜の中山峠(掛川市東部)で徳川家康を迎えお茶でもてなしたといわれています。近郊の粟ケ岳山頂からの眺望は見渡す限りの茶園。ここには茶祖である栄西禅師の像が建立され掛川茶業の発展を見守り続けています。

生産品の歴史
生産品の歴史
生産品の歴史
生産品の歴史
掛川茶業の沿革

日本茶のルーツは、1191年

現在飲まれている日本茶のルーツは、1191年に中国宋より栄西禅師が茶の種子を持ち帰り、この種子から育てた茶園の種子を高山寺の明恵上人に送り、ここで育てられた茶園からの種子が各地に広められたという。
静岡県にお茶が伝えられたのは、1241年駿河国安部郡の高僧聖一国師が中国宋から持ち帰った茶種子を同国足久保に植栽し、これが発祥と伝えられる。

掛川市においては、1572〜92年和田岡村高田の永住寺改築の時、檀徒数名が京都方面の寺院を視察した際に茶種子を持ち帰り、和田岡村吉岡原に播いたのが始まりと伝えられている。
茶園の風景

やぶきた種のはじまり

現在の掛川茶は、「やぶきた」主流の「深蒸し茶」であるが、これは比較的最近のことである。
昔の茶園の造成はすべて茶種子によって行われていた。これら在来茶園では、芽の生育や質はまちまちで、決して良質な物とは言えなかった。このような中、一良質茶生産者が、広い茶園の中から揃った芽を拾い摘みし原料としていた。これを参考に毎日拾い摘みしていると、芽の良し悪し・生育の早晩があることがわかり、これらを揃えることにより製茶が容易になると思われた。有力者からの品種化反対や選抜種抜根など幾多の試練を乗り越え、「やぶきた」種を主体とする幾つかの優良系品種が選抜され、品種茶意識が高まった。
これが現在静岡県及び掛川市の9割を占める「やぶきた」種のはじまりである。
茶園の風景

煎茶から深蒸し茶へ

静岡県では、昭和12年に始められた優良品種茶の奨励普及は次第に軌道にのりはじめたものの、戦時中の昭和12年から昭和20年には食糧増産のため、採苗圃のほとんどは抜根、茶園は芋などの食料畑に代わっていった。このような中、昭和15年より東山・掛川といった地区で「やぶきた」種を導入し植栽した。しかし品種の特性がつかめず、収穫せず放置しほとんどが枯死してしまった。戦争が終わり、その翌年の農地改革等により茶園面積は増加し、品種茶も奨励され試験的な導入がなされた。しかし、苗木の活着・生育・仕立てなどがうまくいかず、足取りは鈍かった。
昭和30年代に入ると、経済成長時代となり、専業農家は経営規模拡大指向に。昭和36年五明地区でブルドーザー開墾が行われ、これを機に各所で開墾が急速に行われるようになり、これと合わせ「やぶきた」種の普及も進んだ。又、問題となっていた品種の本質も徐々に見極められ、「やぶきた」種でなくてはお茶ではないという時代となった。
掛川茶はもともと煎茶であった。しかし、葉肉が厚く渋味が強い掛川茶はあまり良い印象ではなかった。そこで、味をまろやかにした自然の甘みを求めて、昭和32年から富士東・八丸両共同工場が試みた。当時は製法の未熟さや製品の見た目の悪さなどがあり、茶の本質からして邪道との批判もあったが、味一辺倒であるこの茶が消費地で認められ需要が広がり、次第に各工場がこの製法を取り入れ製造するようになり、これが現在掛川市で主流の「深蒸し茶」の原点である。
各工場がこの製法を取り入れ製造


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